人がベジタリアンになる理由に
釈然しなかった私は
プラトンさんの逸話が
唯一の論理的な説明でした。
ベジタリアンの人に問うと、
幼少期の「トラウマ」などは口にするものの、
理路整然と教えてはくれなかった(と思う私だった)ので、
素朴なギモンを抱いていた私です。
*食べ物としての植物と動物のさかい
『ベジタリアン、ヴィーガンはアヒンサー??』
人智学・スピ系の多くはマニュアルとして
「その理由を究極に説明
してはいけないしない」ことが
暗黙に決められるような気がします。
そんな私にギモンにシュタイナーさんの、
『人間の四つの気質 ― 日常生活のなかの精神科学』
という本の中に以下のような記述がある事を知りました。
以下、要約です。
菜食中心では、脂肪分の摂取がむずかしく、その為
自分で脂肪をとり出す力を呼び起こす必要がある。
内的活動が活発になると、生命本来の能力を呼び起こす。
それは、
自我とアストラル体(感受体)が肉体とエーテル体(生命体)
に対して自分の身体が主導権を持つことを意味する。
つまり、
人間は自由になり、自分の身体の主人になる。
というモノです。
私としては、スンゴク納得したしだいです。
やはり、
『自分が一番カワイイ」という理由からの
主義だと理解したしだいです。
私も経験あるのですが、
『菜食』を続けていると
身体は軽くなり、
感性は研ぎすまされ(?)
非暴力的になる
ような気がします。
ここまでは理解できたのですが、
仏陀やイエスはベジタリアンじゃなかったよネっ!?
と思ってしまうのです。
(日本の多くの家元?(出口王仁三郎さんとか)は
説いていたけど実際どうだったのでしょう?)
眠たくなって来たので端折りますが、
要は、
自身の霊的な感性を上げるために
肉食をさけているだけで、
生き物がかわいそうという考えは二の次なのでは?
と天の邪鬼の私は思ってしまします。
(繰り返します、食物と動物の命の違いはナニ?)
マルロ・モーガン著「ミュータント・メッセージ」
にあるように、
「自分を食べて」と進んで云う生き物も
いるらしいですから、事はやっかいです。
・・・すみません、睡魔の限界です。
この続きは、またの機会に。
悪しからず。
お寝みなさいませ。
*
『シュタイナーの学校では432Hzが基本』
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