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コンサート視聴 #7 / 映画一本と食事を・・・
先日、コンサートに行って参りました。



演奏曲目は

・エルガー/チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
 チェロ:アリサ・ワイラースタイン
 チェロ・アンコール:バッハ チェロ組曲第3番 
 BWV1009から第4曲「サラバンド」



・マーラー/交響曲 第1番 ニ長調「巨人」


指揮はパーヴォ・ヤルヴィさんです。





いやーーっ、良かったです。


指揮者合わせて99名という贅沢?な人数です(マーラー ねッ)。




やっぱりCDなんかで聴くのと生は大違いっ!


スペクタル映画を一本観て、
ついでに食事もしてしまった という感じの感服感です。

(それだけ五感を刺激された、というコトです)




暗〜い漆黒の無の空間から息吹が芽生え、
そして命が途絶え人々が集ったと思いきやにぎやかに踊ったり、
花火を上げビーム光線は炸裂するはで、も”ーっ、大変っ!


トランペットの3人は途中から舞台に上がるは、
管楽器やハープの女性はいつ演奏するのかしらん?

そしてホルン奏者は水平に構えたり、
全員立ち上がるなどと目で楽器を探したりと
これだけ奏者がいると観る方も大変っ。




「巨人」がこんなんだったので、
エルガーの印象がどうしても薄い・・。


曲想なのか、奏者が女性のせいか(失礼っ)
あまり重厚な感じがしない。

チェロの静かでビロードのような音色が好きな私には
エルガー、いまいちでした。



アンコールのバッハ、
やっぱりソロの方がチェロらしくって良いなァと
思ったしだいです。








(コンサートマスターが「ゲスト」で好感が持てました。
 あのヒキガエルのような足をのぞける弾き方を見なくて
 すんだのですから。
 それに演奏者達の緊張感も伝わって来ました)



ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスター、
ヴェスコ・エシュケナージさんだそうです。







後日知ったのですが村上春樹さんの著書
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の中に
「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」と題した章があり
そうとう詳しくマーラーについてページをさいております。




























第1802回 定期公演 Aプログラム
2015年2月8日(日) 3:00pm




エルガー (1857~1934)
チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
 第一次世界大戦(1914~1918年)の最初の3年間、エルガーは国民的作曲家としての責務感から《カリヨン》《ポロニア》《艦隊の支え》《イングランドの精神》など戦争に因(ちな)む多くの作品を作って国家に協力した。しかし大戦も4年目の1918年に入ると、激烈な総力戦による膨大な人命の損失と人心の荒廃に深い衝撃を受け、エルガーは鬱屈(うっくつ)した精神状態に陥った。自らの体調不良と愛妻アリスの健康の悪化がこの傾向にさらに拍車をかけた。
 疲労困憊(こんぱい)したエルガーはロンドンの喧騒(けんそう)を離れて西サセックス州の鄙(ひな)びた小村にあるブリンクウェルズ荘で過ごすことが多くなった。森のなかの散策、庭いじりや薪(まき)割りに勤(いそ)しんで創作意欲を回復したエルガーは室内楽作品の作曲に没頭する。こうして1918年春から1年のうちに、それぞれの分野で唯一の作品となる《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》《弦楽四重奏曲》《ピアノ五重奏曲》が誕生した。《チェロ協奏曲》の作曲は、これらの室内楽作品と併行して始められ、ロンドンとブリンクウェルズ荘の間を行き来しながら1919年5月から8月にかけて仕上げられた。作曲中には友人のチェリスト、フェリックス・サルモンドがしばしばエルガーを訪れては演奏技術上の助言を与えた。
 エルガーの特徴である重厚で複層的なオーケストレーションは影をひそめ、チェロのソロに金管楽器が重ねられることはほとんどなく、トゥッティも終楽章を中心にしてごく僅(わず)かしか現れない。
 ブリンクウェルズの自然を思わせる牧歌的な部分もあるが作曲当時のエルガーの心境を反映してか、沈鬱(ちんうつ)でメランコリックな楽想が全体を支配している。
 初演は1919年10月27日にロンドンにおいてサルモンドのソロ、エルガー自身が指揮するロンドン交響楽団によって行われたが、十分なリハーサル時間が得られず、初演は不本意な出来に終わった。しかしながら1920年代以降カザルス、スクワイヤー、ピアティゴルスキー、フルニエ、ナヴァラ、トルトリエ、デュ・プレらチェロの名手たちがレパートリーに加えることによって作品の評価は徐々に高まり、現在はエルガーの代表作のひとつとなっている。
 エルガー夫人アリスは初演後半年も経たない1920年4月7日に逝去し、その打撃からエルガーはその後本格的な作品を書くことができなかった。《チェロ協奏曲》は図らずもアリスと自らの創作活動へのレクイエムとなったのである。

第1楽章 アダージョ ホ短調 4/4拍子―モデラート 9/8拍子─12/8拍子─9/8拍子。短く激しいチェロの詠嘆調カデンツァで始まる。ここに現れる4つの和声が全曲の空気を支配する。ソロ・チェロの出だしにはエルガー特有の「ノビルメンテ」(高貴に)の表示が付されている。主部は森に立ち込める霧のようなヴィオラとチェロの旋律をチェロのソロがなぞるように進み、木管群が時折つぶやくように和声を加えていく。切れ目なしに第2楽章に飛び込む。
第2楽章 レント─アレグロ・モルト ト長調 4/4拍子。実質的なスケルツォ楽章であり、協奏曲には珍しい。チェロが3度にわたり誘いかけるようなフレーズを奏すると、ようやくオーケストラが呼応する。チェロとオーケストラが代わる代わる無窮動(むきゅうどう)風の主題を追いかけまわす。ソロ・チェロとヴィオラ以下の弦楽器群のピチカートで結ばれる。
第3楽章 アダージョ ホ長調 3/8拍子。束(つか)の間の休息のような静謐(せいひつ)な旋律が歌われ、チェロと弦楽器群の瞑想(めいそう)的な対話が続く。ホルンを除いて金管楽器がまったく登場しない、わずか60小節の短いアダージョである。
第4楽章 アレグロ ホ短調 2/4拍子―モデラート―アレグロ、マ・ノン・トロッポ―ポーコ・ピウ・レント―アレグロ・モルト。威嚇的で焦燥感に駆られたような主題と、それを押し止めようとするチェロの抵抗で進められる。ここでもチェロの出だしには「ノビルメンテ」と表示されており、エルガーが「わが理想」と語っていたシューマンの《チェロ協奏曲》を思わせるパッセージも垣間見られる。チェロの努力を否定するかのように金管楽器群が咆哮(ほうこう)し、重々しいオーケストラのトゥッティの間奏が唐突に終わると、弦楽器群とチェロが再び韜晦(とうかい)するような対話を続ける。コーダの直前にはレントで第3楽章の主題が短く回想され、そのまま消え入るように終わるかにみえるが突然、第1楽章冒頭のカデンツァが再びチェロに現れる。ソロの嘆きを断ち切るようなトゥッティの二撃が加えられ、第4楽章の主題に導かれて沈鬱な空気を払拭(ふっしょく)できないまま、一気呵成(かせい)に全曲を閉じる。

 なお、エルガーは、英国の名女流チェリスト、ベアトリス・ハリソン(1892~1965)をソリストにして、自らの指揮でたびたびこの曲を演奏し、1920年と1928年にはレコード録音も行っている。

作曲年代:1918年3月~1919年8月(一部は1913年に遡る)
初演:1919年10月27日、ロンドン、フェリックス・サルモンドのチェロ、作曲者自身の指揮、ロンドン交響楽団







マーラー (1860~1911)
交響曲 第1番 ニ長調「巨人」
 グスタフ・マーラーの最初期の交響曲はいずれも散佚(さんいつ)しており、少なくとも4曲は存在したということしかわからない。ついに「交響曲第1番」となったこの作品は、ライプツィヒ市立劇場の指揮者時代、1888年2月から3月にかけて一挙に作曲され、総譜は次の任地ブダペストで完成された。1889年11月20日にほとんど標題のない「2部からなる交響詩」(全5楽章)として同地で初演される(初稿)。無理解に遭ったこともあって総譜は新たに書き直され、1893年10月27日にハンブルクで再演された時は、詳細な標題が公開された。全体のタイトルは自筆譜で「5楽章(2部)からなる交響曲(『ティターン[ギリシア神話の巨人族]』)」、演奏会プログラムで「巨人(ティターン)、交響曲形式の交響詩」と揺れ動く(いわゆるハンブルク稿)。しかしその後、最初の第2楽章「花の章」は削除されて通常の4楽章制となり、終楽章は大きく改訂されて、1896年のベルリンの演奏でも1898年の出版に際しても、タイトルはたんに「交響曲」となり、副題や標題は一切なくなった。音楽の実質はこの時点で固定されており、したがって「巨人」なるサブタイトルをなおも付けることは作曲者の意思に反することを知っておきたい。
 その後も第1楽章に提示部の反復が追加され、また楽器法の徹底した推敲(すいこう)がなされたばかりでなく、演奏上の指示も緻密(ちみつ)に書き込まれていった結果、《交響曲第4番》と並んで最も完成度の高い楽譜となっているが、作曲者本人がたびたび指揮してそのつど手を加えたため、パート譜などの新資料が発見されるたびに、むしろ同一箇所の異本が増え、かえって「作曲家の意図」を決定しづらい結果ともなっている。全集版も注釈が増え、たとえば第3楽章の名高いコントラバス独奏がセクション全体の「パート・ソロ」である可能性が出てくるなど、音楽の実質こそ変わらないものの、細部の判断の積み重ねで作品は微妙に変化する。もっとも作曲者没後一世紀を超えて、ホールも楽器や奏法も大きく変化しているので、いずれにせよ細部についての最終的な判断は演奏者に委ねられる。かつてインバルの薫陶を受けたフランクフルトのオーケストラを引き継ぎ、他方では古楽器的な奏法にも通じた本日の指揮者パーヴォ・ヤルヴィが示す新たな知見に注目したい。
 まったく世代がちがうにもかかわらず、マーラーが発表した最初の交響曲には、エクトル・ベルリオーズの《幻想交響曲》(1830年)と共通する点が多い。まず素材が、場合によっては楽章や大きな部分さえ、既存の自作の流用や寄せ集めであること(作曲期間の短さはこのこととも関係がある)。ベルリオーズについては別の機会に譲るとして、マーラーの場合には、第1楽章の主部全体が《さすらう若人の歌》第2曲の編曲あるいは大いに拡大されたパラフレーズ。主題の引用などという説明では不充分で、《交響曲第2番》第3楽章や《交響曲第3番》第3楽章と同様に、もともと交響曲楽章の拡(ひろ)がりを孕(はら)んでいた歌曲を発展させたのだ。改訂に際して削除された当初の第2楽章「花の章」は以前書いた劇付随音楽《ゼッキンゲンのラッパ吹き》からの流用と推定され、現在の第2楽章には歌曲《ハンスとグレーテ》の田舎の踊りのリズムがあって、第3楽章の葬送行進曲の中間部は、やはり《さすらう若者の歌》第4曲後半から取られている。しかし歌曲のこの部分自体、カンタータ《嘆きの歌》初稿の第1部から転用されたものであり、同じ歌曲前半の闘争的な音楽も、このカンタータに原形がある。交響曲第4楽章で大きな比重を占める「嵐」(「世界苦」)の音楽にあっても、多くの動機やパッセージが《嘆きの歌》を基礎としており、若い作曲家は、世に問う最初の交響曲に、おそらくはそれまでに書いた、その時点では世に出る見込みが薄くなっていた最良のページを、惜しげもなく投入したのだ。そのゆえに、ベルリオーズとマーラーの2人が世に問うた最初の交響曲は、一面では不思議な寄せ集めであり、他方から見れば、いわば徒弟時代の総決算なのである。
 このことは、この交響曲がまだ世に認められない若い芸術家の内面的な自伝でもあることと密接に関連する。《幻想》と題材や順序こそ異なるものの、傷ついた青年を慰める美しい自然、踊りの場面、醜悪な葬送行進曲、壮大な戦いはここにもあり、風変わりな音や独創的な形式にもかかわらず、全曲は器楽のみによる長編の教養小説のように展開するのだ(交響詩として初演したときの標題で『巨人』以外にもジャン・パウルがたびたび言及されたのは、おそらくこの理由から)。

第1楽章 ベートーヴェンの《第9》とまったく別のやり方で無から発生し、陽が昇り霧が晴れるような呼吸で主部に入る。改訂により提示部の反復がついて「ソナタ形式」を標榜(ひょうぼう)するが、再現部以後の発展は意表をつき、展開部では終楽章が予告される。
第2楽章 田舎の踊り風の陽気なイ長調のスケルツォ。「トリオ」部分の表情に注目したい。
第3楽章 緩徐楽章にあたる第3楽章はニ短調の葬送行進曲。陳腐・醜悪・俗悪な音素材による主部と、ト長調の中間部の平安が極端な対比をつくる。
第4楽章 前の楽章から切れ目なくつづき、おぞましい現世に対する嫌悪が爆発する(《交響曲第2番》第3楽章クライマックスの先駆)。へ短調の音楽からニ長調の勝利への進行はかなりの力業だが、これこそ若さの特権というべきだろう。《幻想交響曲》を書いたベルリオーズは26歳、《交響曲第1番》を書いていたマーラーは27歳。輝かしい、しかも異形の交響曲による天才の出発である。

作曲年代:1884~1888年
初演:1889年11月20日、ブダペスト。作曲者自身の指揮
(森 泰彦)


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by tukasa-gumi | 2015-02-22 23:25 | 音楽 | Comments(0)
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