歴史は繰り返してはいけない、
ということで21世紀の「サラエボ事件」を
防ごうというお話しです。
第1次大戦の原因と云われている
1914年6月末のボスニア・ヘルツェゴビナの首都の
「サラエボ事件」から100年たちました。
(オーストリア・ハンガリー帝国の次期皇帝となる
フェルディナント大公夫妻が、
サラエボを表敬訪問中に暗殺され。
暗殺グループがセルビア政府と関係があったとし
オーストリアが7月末宣戦布告)
現在はもちろんシチュエーションとして違うのですが
トリガーのそれとしてはとっても似ているような・・・
どこかの植民地!?で統治国(敵対国)の大御所が標的になり
殺害されて(されなくとも)その結果紛争に発展し戦争にいたる。
そして難民が続出し、その後の「因縁」となる・・・。
表向きのストーリーとしてはこのような感じです。
歴史に学べと数多くの人々が持論を述べ合うのですが、
自己満足で終わってしまう。
かくして、
それらを練って計画?した(している)人々は、
毎回チョコット手口を変えて実行できるのです。
なぜなら50年、100年と時代を経れば
その時を覚えている人はいなくなるからです。
かくしてサラエボ事件から100年たった欧州、
敗戦から70年すぎた日本はベストマッチングしているのです。
歴史を学ぶ人はとても多いと思うのですが、
学んだことを活かす人は希有です。
紛争を起こしたいと思う人以外は。
このようにして戦争は起こる。
*
当然のことですが、
紛争相手国(人)を忘れないことが、
歴史を学ぶということではありません。
もちろん結果の敗者(国・人)勝者(国・人)でもなく
その前後に至った経過を知り繰り返さないよう
現在に生かすのが知恵ある私たちの役目だとしっかと
認識することが過渡と未来に対する責任だと思います。