何となく
『人生はロールプレイングゲーム?!/ スピ系解釈では?』
『人類にとっての「神」の価値はどかから来たのかしらん?!』
の続きです。
私は時として『神様』に問います。
何故にこの世はこんなにも理不尽なのか? と。
ずーーーーーっと考えているのですが、
・この世とあの世はあるのか?
・なせ私達の世界はあるのか?
・そしてなぜこんなにも酷い世界なのか?
などと常日頃から想って生活している私です。
神は新たな世界・経験を知りたい・確認したいために
(平和と思われる)世界から(このような劣悪な)私たちの世界を創造した
という話でスピ系は完結しております。
分かりやすく言うと、
健康な人がスポーツジムにいって自分の身体に負荷をかけて、
新しい自分を発見したり、
汗をかいた後のビールが美味しい!
という感覚だと思うのですョ。
でも、
筋肉は疲労し過度の負荷により死んで行く細胞もある
ってな感じでしょうか?!
どうひいき目に見ても成長・進化よりも
堕落・停滞しているようにしか見えません、
先日分かったことなのですが、
私たちの世界のサムシング・グレート・・・・
実は『未熟者』なのです、サムシング・グレート界では。
だからこんな方法でしか、自分を再認識できないのです。
こんな方法で、自分を『確認』することしか出来ないのです。
未完成な『サムシング・グレート』の『私たち』なのですから、
矛盾・理不尽をそのまま受け継いだ『私たち』なのです。
だからこそ『私たち』は『神の分身』なのです。
そう『サムシング・グレート』から見れば、
未熟な『神』なのです。
『神』が『サムシング・グレート』の分身と言うのは。
『神』のささやき でしょう。
そうとしか思えません、
無駄に身体や精神を酷使する惨状を見聞しますと・・・、
これらを『約束』『経験』とか理由づけするのがその証拠です、
『神』が未熟で自分を把握し完全にコントロールできていないからです。
・・・というのが、今回の結論です。
矛盾しているかもしれませんが、
私が何か新しい経験や知恵を授からないかぎり、
この答えは変わらないような気がしたします。
また『神』について気がついたことがありましたら、
エントリーいたします です。
*
「未熟なのはお前だョ」という声が聞こえて来そうです。