地震後、およそ20日間が過ぎようとしています。
久しぶりに渋谷の街に出てみますと
そこは地震前となんら変わらない風景が見られます。
屈託のない若者たちでにぎわっているのです。
『「繋がり」/人とつながっていたい』のかも知れません。
ただ一点、
舶来人の観光客の姿が見えないことを除けば・・・。
以下は、東京地方限定のお話しです。
原発の事故がおこって10日ほど過ぎた頃からでしょうか?
不安が増大する私と、
打って変わって多くの人が
「アレっ まだ原発 やっていたのォ?」
「食料事情もほとんど回復したしィ」
「電車も動いているしィ」
「階段使わずエレベーター乗るようになったしィ」
「余震・放射能? なに気にしてんのォ?」
こんな反応が多いのですよっ、ホント。
私一人
「最初の雨はマズイんじゃぁないのォ!?」
などと物知りげに言うと
「ハイハイ ♪ 分かっておりますョ〜」
「あなた一人生き残ればいいじゃァない」
逆キレ気味に返答してくれます。
(「黒い雨」とかチェルノブイリのスポット
知らないのかしらん?????)
TVの報道で何にも云わないから
問題ないと思っているんだろうなァ・・・。
これが ↑ 現実です
東京に雨が降った22日の降下物(塵や雨)の放射能は
昨日29日の およそ1,700倍ですっ!!
セシウムに至ってもおよそ1,000倍っ!(21日)
これは尋常な数字ではありません。
これは、
福島からおよそ250キロ離れている東京新宿の数字です。
この都のデーターは悲しいかな翌日になならないと
発表されないスリリングさがあります。
このような数値を聞いても、
それを自分の世界に置き換えるすべがないので、
今現在どのような状況下に私たちがいるか
全くもって理解できないのでしょう。
もしくはそれらの情報を知りたくないのかもしれません。
そして、
多くの人が 雨にぬれなきゃ大丈夫 と
思っているのです。
その後に起こったことはペットボトルパニック・・・
そう
『乳児の飲用基準を上回る放射性物質が検出された問題』が
発表されたのです。
これで一気に 原発事故 が都民の間で身近になった
と思いきや・・・全く意に関しない。
「死ぬ時は、死ぬのッ」
「たいした被爆じゃぁ無いらしいョ」
「20年後ぐらいでしょう? 発症」
「もう関係ない歳でしょォ?」
などと悟りきった人々の多さには
打ちのめされてしまいました、わたくし。
・・・どうやら彼女らは
「時間」や「景色」が止まったり
ゆっくり動いている・・・ということを実感していないらしいのです。
別のいい方をすると
今回の地震でダメージを受けていないのです、彼らは。
(私にはそう思えました)
地震はあったけど
「今はぢぇんぢぇん平気、いつもと変わらない」のです。
これらの反応は私にとってはとてもショックなことでした。
はたして、私の想いは間違っているのか?
情報過多でパニクっているのだろうか?
それとも彼らは「災害情報の重さ」に耐えかねて
自分がつぶれる前に情報を破棄し、シャットダウン
したのでしょうか?
(周りの多くの人が うつ になるので
TVニュースは見なくなったと言っております)
もしかすると、
「天災の地震、人災の放射能」に関しては
自分自身があまりにも無力なので、
今現在を謳歌することを選択したのかもしれません。
地震はもう過去の出来事で
普段の生活にもどりたいのかもしれません。
人間の脳には「嫌なことを忘れる」システムが
そなわっていると聞いたことがあります。
現在はこのシステムが作動しているのでしょう、
それは日常生活をいとなむ上でとても
重要で必要なことだからでしょう。
(すぐに「水に流す」ことができる日本人の特性かもしれません)
しかし地震・原発事故で何らかで繋がっている
私たちは、心のリセットを経験したのです。
それは今気づかなくとも
いつの日か「あの地震からが最初のページだったんだ」
と理解できる日が来ると思うのです。
なぜなら「見えない放射能」の空気と食べ物とに
これから何ヶ月もしくは何年かは付き合うことになるからです。
それにいち早く気づいたのは残念ながら
当事者の日本ではなく海外の国々だったのかも
知れません・・・。
ぁぁっ何て こんな悲観的な・・・・
でも大丈夫!
このことがトリガーになり
世の中のシステムが変わり 今まで以上のより良い社会が
構築されると思います。
だてに 伝統食のある日本 ではないからです。
つづく