映画「三度目の殺人」の広告を見てふと思いました。
「自殺者は神に罰せられることはない」と
記してあったのは確か「神との対話」だと。
それでは殺人はどうなのかしらん。
「相手の自由を奪う行為だから雑人はダメでしょっ」
という声が聴こえてきそうですが、
究極のスピ系解釈ですと、
「殺人も(お互いに了承済みだから)余り罪ではない」
という解説があります・・・。
つまり「罪」という「行為」は存在しないが、
「成長」を妨げる「行動」は存在する、
という何だか矛盾したような論理です。
すべて「愛」というワードで
片付ける事が出来るのが
スピ系の良い所です?が、
スンゴイ大局的な見方をすれば、
然もありなんです。
ってーことは、
人はもっと「自由」であって良い
というコトなのでは。
「頭」でなく「心」で行動したなら、
きっとスバラシイ世界が
あっという間にやって来るような気がいたします。
(愛って日本語だとあまり良いイメージが無いのですョ、
「愛人」とか「愛欲」「愛玩」とか・・・)
「そんな事は無いョ!」と思うのは「各人の頭」。
死んだらお終い、じゃないという事がこの世で
判明したら世界は劇的に変化するかもしれません。
そういえば、
そんな設定の「ザ・ディスカバリー」という
映画がありましたネっ。
こうして考えてみると、
このラストの展開は有りですネっ、
時期尚早なんだわ、
なっとく 納得 ?!?
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