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終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画
いわゆる「終戦記念日」(敗戦記念日とも言う)を
明日に控えております。




そんな中、宮内庁が「玉音放送」の原盤や映像を
公開したのはTVなどでも報道されております。


宮内庁、終戦告げる「玉音放送」のレコード原盤など公開(15/08/01)





そして教科書などにも載っている
「皇居前における人々の写真」
これある意味「終戦の象徴」かと思われます。





でもって、
皆さんがイメージする写真ってだぶんコレですよネっ。

天皇陛下の終戦詔勅を聞いて、皇居広場で泣き崩れる国民
終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_10214341.jpg








しかし、
この画像はトリミングされていますので実際はこんな感じです。



終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_10254513.jpg
















そして、
もっとカメラを引きますとこんな感じです。





終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_1028253.jpg








この写真を良〜く観ると、
玉音放送、我関せずと思われる女性群が写っております。





終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_1037383.jpg









それにアナウンサーは放送前に聴取者に対して
「ご起立願います」とハッキリ促しております。





           終戦放送











一説によりますと、

昭和20年8月14日に
皇居前広場を通りかかった人に頼んで
正座・辞儀させて撮られたという話や、

10年後の1955年の8月15日に撮影された

という説まで飛び交っております。



とにもかくにも、
ちょっと違和感を覚える写真です、私には。




こんな新聞記事もありますし・・・・。








終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_1131160.jpg

昭和20年8月15日付「北海道新聞」に掲載された
「玉音放送に、頭を垂れて聴き入る坊主頭の子供の写真」
カメラマンに頼まれ意味も分からないまま
写真のようなポーズを取ったいう証言記事です。





これまた「新聞週間記事」なので
どこまで信用して良いのやら ??!!??







当時少年だった星新一さんは15日当日、
興味本位で皇居に出向いたそうな・・・


そこは少年の想像とは違い、
人気もまばらな静かな空間だったそうです。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


【追記です】
2015年8月22日の朝日新聞の夕刊によりますと。


(あのとき・それから)
昭和23年 
「暮しの手帖」創刊 戦争から「暮らし」守るため
2015年8月22日16時30分


1945年8月15日。戦争終結を伝える昭和天皇の「玉音放送」を聞き、
青年は川崎市の自宅から皇居前へと歩き出した。
たどり着いた皇居前は人が多すぎて、銀座へ。
空襲で廃虚となった街を眺めながら青年は考えた。
「戦争を起こそうというものが出てきたときに、
反対する側に守るに足るものがなく・・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








【おまけ】

終戦告げる「玉音放送」と「その写真」 / 画像・動画_b0003330_11365453.jpg










































2005年2月号の「文藝春秋」「戦後60周年総力特集」
外交評論家の加瀬英明氏の「捏造された『宮城前号泣記事』」

以下は「文藝春秋」の引用です。



・・・・
当時の新聞は物資が欠乏していたから、裏表2ページだった。
当時、朝日新聞社で働いていたOBを取材したところ、
この日の新聞は正午前にすでに刷り上って、
玉音放送が終わったころには、都内の販売店や、
地方へ積み出しが始められていた。地方によっては、
朝刊が夕方から夜になって配達された。
 この日だけは前日の閣議で、終戦の詔勅が放送されてから
配達されることに、決まっていた。
この記事は玉音放送の前に書かれていた捏造であったのである。

・・・・
私の連載誌が発行されて、すぐに青森市の花田省三から、
この件について経緯を説明した手紙をいただいた。
 花田氏は学校教員だったということだが、当時は学生で、
工場動員によって福島市にある航空無線機工場で働いていた。
 そして上司からいわれて、東京に外注部品を促進するため上京した。
花田氏の手紙から、引用しよう。
「14日、何時ものように栄養失調の足を引き摺(ず)りながら、
宮城前の明治生命館6階にあった日立製作所の事務所へ、
ネオン管の催促に行った。 
・・・・
そこを出て、『宮城を前に来たから拝んでいこう』という
気持ちで二重橋の方へ歩いていったところ、
丁度『写真』の位置で、腕章を巻いたカメラマンに呼びとめられ、
『写真を撮りたいので、そこに」土下座して欲しい』と言われた。
 他に写真のように多くの人が座らされ、
『撮しますからお辞儀して下さい』といわれて撮られたのです。
後で振り向くと、件(くだん)のカメラマンが腕で
涙を拭っていたので、『何か様子がおかしい』と思い、又、
『何かの記念になるかも知れない』と思って、
『写真が出来たら譲って欲しい』と頼んでみた。
 すると、『この写真は特別のものだから呉れるわけにはいかない。
 しかし、明日正午過ぎたら社に来てみれば、
或いはあげられるかもしれぬ』と云って、又涙を拭った。
妙な気分で、その場を去ったが、それでも、
まだ敗戦ということは思い浮かばなかった。
・・・・・
by tukasa-gumi | 2015-08-14 11:37 | 図書 | Comments(0)
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