『日本のバゲットにエネルギーは満ちているか?』
の何となくつづきです。
日頃、
口にしている食材のエネルギーの話しです。
今回は「植物篇」。
スーパーで買った野菜なんかで
根がついたままの野菜が時としてありますよネっ!?
根菜類ではなく、ほうれん草とか。
これらの野菜ってけっこう生命力があるって言うか、
まだ生きているというのか、おひたし何かで調理
茹でる時に 悲鳴 が聞こえるのですョ、植物の・・・。
(聞こえるような気がする ということです)
活きた毛ガニ何かを茹でる時と同じ感覚で
「死んで行くのを目の当たり」にするのです。
これと比べると既に死んで腐敗させている肉は
とっても調理しやすい。
(自分で撲殺していないので当たり前である)
そんなこんなで、
「ごめんなさいねェ」と言いながら調理する
あたくしでありま。
そんな私が、
先日スーパーで出会ったご夫人の話です。
とあるスーパーで茄子を物色しておりましたら、
隣にいた年配のご夫人がナスを裸でカゴに入れておりましたので、
プロッコリーのコーナーにあったビニール袋を取り
「使われます?」と手渡したところ会話が始まり、
なすの選び方を教わりました。
曰く、細長いスッキリしたものがヨロシイとか。
私が今まで選んできた、
お尻?がふっくらした物は痛みやすいとか・・・。
(種、日が経つと黒いボツボツ現れますでしょ)
彼女:「油で揚げて、あげようと思って・・・」
私:「油との相性良いですからねェ」:
「(茄子を手に取り)これですか?」
彼女:「そう、そう」
私:「いや〜、良いことを教わりました」
そんな短い会話をしていると彼女は
自身を恥じるように
「よけいな事を言って・・・」と発したのです。
やっぱ年配の方は良いわァ。
年下の私に向かって、二歩も三歩も引いて下さる。
しかも、茄子を単なる食材ではなく、
(ある意味)擬人化している。
私が彼女の歳いなった時にそのような言葉が
はたして出るのだろうか? と思つつ
その日は清々しい日を過ごさせていただきました です。